今のままじゃダメなことぐらい自分が一番わかってるんです!

昔はあんなにもアクティブな人だったのに… 病気持ちになり、みるみるインドアでネガティブになったお母さんのお話です。

あの時スマホを持ってたら、何か変わってたのだろうか…

結婚願望がないわたしが、

妊娠し、できたら婚をしたのは、

今から9年前のことです。

 

この時は9年後に、

二度目の流産を経験するとは

思ってもいませんでした。

 

お母さん願望もなく、

子供好きでもなかったので、

子供は何人欲しいという考えもありませんでした。

 

ただ、

これから経験したことのない体験が始まるというドキドキと、

こんな考えで育てられるのだろうかという少しの不安があるぐらいでした。

 

言葉は悪いですが、

つくってみようと挑んで数か月後に、

すんなり妊娠しました。

 

わたしは生理が28日周期で

毎月きちんときていました。

生理痛もなく、ナプキンをつけているのは

生理が始まって2~3日間だけ。

周りの友達は

 

「今月は生理が遅れてる」

「予定よりだいぶはやく生理がきた」

「多い日用を使ってる」

「夜用はかかせない」

「ナプキンでかぶれる」

「痛み止めの薬を飲んでいる」

 

どれも経験がありませんでした。

生理がはじまる時期だなと思ったら生理がきて、

いつの間にか終わってるというのがわたしの感覚でした。

この「血」はみんなと一緒の「血」なんだろうか?

とも思っていました。

 

友達には「いいね~楽で。」

と言われて、「いいでしょ~。」

と言っていました。

 

心のどこかで「自分は妊娠しないかもしれない」

と思っていました。

今だったらすぐに検索してたんでしょうけど、

その頃はパソコンも持っていなかったし、

自分の周りのごくわずかな人たちの話と比較することしかできません。

自分みたいな生理の人がいない。

普通の体ではないのかもしれないと。

 

子供が欲しいと思っていなかったので、

あまり深く考えていませんでした。

そんなわたしがすんなり妊娠です。

妊娠できる体だったんだ…と、

ほんとに信じられませんでした。

 

そして、身勝手な妊婦が誕生しました。

今思うと、息子が無事に産まれてきたことは

本当にすごいことなんだなと思います。

息子の生命力の強さに感謝するばかりです。

 

無事に産まれてきたといっても、

妊娠30週の時に救急車で運ばれ、

32週で帝王切開で出産しました。

わたしは「妊娠高血圧症」になっていました。

 

息子は仮死状態で産まれ産声は聞けませんでしたが、

すぐに蘇生し、わたしを母親にしてくれました。

 

出産した後、疑問に思いました。

救急車で運ばれるまで先生に何一つ注意されることはありませんでした。

食べ物の制限や、体重の制限、

タバコを吸ってるかどうかなども、

一切聞かれませんでした。

なので、何一つ、妊娠前と変わらない生活をしていました。

 

その頃から自分で色々と調べ、

愕然としたんですけどね。

無知とは恐ろしいものです。

 

 

 

結婚願望無し、お嫁さん願望無し、お母さん願望無しだった29歳のわたし。

わたしと旦那さんは『できたら婚』です。

 

わたしが28歳の時に出会いました。

それまでわたしは地元を離れて生活していて、

実家暮らしをしていた妹が家を出たいと言うので、

入れ替わりで帰ってくることにしました。

 

当時、母は何も言わなかったけど、

父とよくケンカをしていると妹から聞いていました。

父はカッとなると手が出る人で、

わたしは子供の頃、よく夫婦喧嘩の仲裁をしていました。

 

昔の麦茶ポットってガラス製が多かったんですよね。

そのポットを父が母目がけて投げつけるんです。

当たっても痛いですが、運悪く床に落ち、ポットは粉々に割れ、

それにビックリした妹は母に駆け寄って抱き着きました。

母の血なのか、妹の血なのかわからないけど、

2人の体のあちこちに血がついてるのを見た瞬間、

わたしは父に包丁を向けていました。

 

その瞬間、父の真っ赤だった顔が、

みるみる青ざめたのを覚えています。

今で言うところのDV夫ってやつですかね。

 

正気に戻った父は勢いよく家を飛び出していき、

その後、わたしたち姉妹が寝るまで帰ってきませんでしたが、

翌日の朝には普通に仕事の準備をして、

朝ご飯を食べて出かけて行きました。

 

夫婦喧嘩があるたびに、

父は大声で怒鳴りながら物を投げまくり、

母と妹は泣き叫ぶ。

わたしは「やめて!」と父にお願いすることしかできませんでした。

やめてと言ってもやめてはくれませんでしたけどね。

 

子供ながらに、離婚すればいいのにと思っていました。

何度か両親に離婚したらどっちについてくる?

と、聞かれたことがありました。

妹はその頃から父親嫌いで、

妹は母に着いていくと言うのはわかっていたので、

わたしはそんな父でも、一人になるのは可哀そうだと思い、

父に着いていくと言っていました。

今思うと、わたしの発言が離婚できなかった理由の一つなのでは?

とも思ってしまいますが…

 

そんな両親なので、

家を出たいと思いながらも、

なかなか踏み切れず何年か過ごしていました。

妹が高校生になり、

「大丈夫、わたしがお母さんを守るから」

と言ってくれて、わたしは家を出ることを決心しました。

 

わたしが家を出ている間、妹がいてくれたので安心でした。

けど、妹が家を出たら父と母は二人っきり。

両親を二人っきりにするというは、

わたしにはできませんでした。

 

その頃、わたしには付き合っている人がいましたが、

母が殺されるよりはマシだ!と、

迷わず実家に戻ることを選びました。

 

だいぶ話の着地地点がわからなくなってきました…

 

そんなこんなで、

わたしは両親の為に、

まぁ、自分の為なんですけど、

地元に帰ってくることになり、

今の旦那さんと出会いました。

 

旦那さんはバツイチです。

元奥さんとの間に2人、子供がいます。

旦那さんと付き合うことになったのはわたしが29歳の時。

周りからは『結婚するんやろ』と、

よく言われていました。

なんででしょうね?

特におじ様達によく言われていました。

これは今で言うところのマタニティハラスメントってやつですか?

女は子供産まんと意味がないとか、

色々言われました。

 

散々言われながらも、

わたしには結婚願望がありませんでした。

お嫁さん願望もありません。

お母さん願望もありません。

というか、子供があまり好きではありませんでした。

今も大好きかと聞かれると…

正直自分の息子以外、可愛いとは思いません。

 

けど!

今は友達の子供とか、知らない子供よりかは可愛いと思いますよ!

当時、身近に小さな子供がいなくて、

子供の可愛さとかがよくわからなかったんだろうなと思います。

 

自分には結婚願望がない、

相手はバツイチで前妻の間に子供もいる。

結婚する意味ってあるのかな?と…

 

小さな頃から両親の喧嘩を見てきて、

子供ながらに離婚すればいいのにと思い続けてきた人間には

結婚の良さがわかりませんでした。

わたしと妹は、

いつも心のどこかで両親のことを心配して過ごしてきました。

母が殺されないように、

父が犯罪者にならないように。

自分たちは両親を守る為に生まれてきたのかなと。

 

大人になって、家を出て、色んな人たちに出会いました。

接客業の仕事をしてよかったなと思います。

両親を反面教師にしている人や、

両親に自分は似ているからこの性格はなおらないという人、

父親しかいない人、母親しかいない人、両親の顔も知らない人。

 

総合的に考えて、

わたしの今の性格や考えは両親からのコピーなのか、

それとも全く違うものなのだろうか。

 

自分に父のような凶暴な一面があるのかもしれない。

母のようにじっと耐え続ける忍耐力はあるのだろうか。

今でも正解はわかりません。

 

けどある日ふっと、

「産んでみたいかも」

と思ったんです。

子供を可愛いとは思っていませんでした。

年齢も気にしていませんでした。

 

不謹慎だし、無責任な考えですよね。

29歳にもなって、産んでみたいかもって。

 

旦那さんに言ってみました。

「なんでかわからないんだけど、産んでみたい。うちら二人の子供ってどんなのが生まれるんやろう?」って。

 

旦那さんはちょっとビックリしていました。

今まで産んでみたいなんて言ったことがなかったので。

旦那さんから、結婚はどうしたいの?と聞かれたことはありました。

わたしは「わからない」と答えていました。

 

それから旦那さんと色々話し合い、

「子供ができたら結婚しよう」

ということになり、数か月後、無事に妊娠、

その後両親に報告し、結婚することになりました。

 

世間で言う「デキちゃった結婚」ですが、

わたしたちは『できたら結婚』というわけです。

 

 

昨日、2度目の流産を終えました。

初めまして。

chirimamaです。

 

昨日、一日がかりで2回目の流産を終えました。

一度目の流産は仕事中のトイレの中で。

今回は出てきてしまう『たまごちゃん』を受け止めるべく!

仕事を休み、無事にこの手で泣きながらキャッチしました。

 

一度目の時、

なんの準備も知識も、考えもなく、

職場のトイレでの急なお別れをしてしまった後、

あまり深く考えないように…

あまり思い出さないように…

 

そう思いながら過ごし、

今回2度目の流産宣告を受けて、

準備万端で自然流産に挑み、

昨日の今日でよくブログなんか書けるね・・・

と思われるでしょうが、

自分の気持ちの整理のため、

『たまごちゃん』との短い出会いとお別れの記憶を残すために、

書ける時に、書いていこうと思い、開設しました。

 

この先、情緒が不安定になるかもしれませんが、

基本的には色んなことに興味があり、何にでも手を出し、

自由に生きてる一児の母です。

 

数年前から甲状腺疾患のバセドウ持ち。

バセドウを発症してからというもの、

人生計画がみるみる崩壊していき、現在に至ります。

その過程も書いて行けたらなと思います。

 

どうぞよろしくお願いします。