今のままじゃダメなことぐらい自分が一番わかってるんです!

昔はあんなにもアクティブな人だったのに… 病気持ちになり、みるみるインドアでネガティブになったお母さんのお話です。

久々の記事投稿

なんで書かなくなったんだ?

こんにちは。

前回の最後の記事を公開日を見てビックリ。

2017年2月!

内容は2度目の流産をして診察にいった時のことを書いていました。

自分で久々に読み返して、当時のことを思い出してウルっとしてしまった。

 

そういえばこんなこと書いてたな、

なんで書かなくなったんだ?

 

そう、この流産後の診察で「たまごちゃん」を預けて、

この日から一週間後にもう一度診察に行って、完全に出てしまっているかの確認をしてもらって、終了の診断をしてもらったその日に、仕事をもう一つ増やす為に飛び込みでバイトの面接に行きました。

 

 

3人で楽しく生きていくことを決意

たまごちゃんを手渡して最後の診察までの一週間の間、2人目について旦那と色々考えました。

2人目は欲しいけど、正直もう妊娠するのが怖い。

2度目の流産を宣告されて、出血が始まって、たまごちゃんを受け止めるべく、トイレで戦ったあの長い時間。

ドっと出てくる塊をゴム手袋をした手で受け止め、ジーっと見つめる。

指でかき分けたりもしてみる。違う、ただの血だ。

次も違う、これも違う。

出血してるからなのか冷や汗が止まらなかったのを覚えてる。

ひたすら便器に座り、いつ出てきてもいいようにスタンバイ。

何度も受け止め、捨ててを繰り返して、ようやく探してた物に巡り会う。

 

出てきたものをラップに包む。ラップだけだと透けて見えるのでその上からティッシュを何重にも重ねて包む。

普通に考えると異常な行動ですよね。

けどこれ以外思いつきませんでした。

 

ラップに包んだ後のことはあまりよく覚えてませんが、

帰宅した旦那に「キャッチしたよ」と伝えると「どこにある?」

と聞いてきたので在り処を教えると見に行っていました。

何か感想を言ってたと思うけど、それももう思い出せません。

けど、ちゃんと見てくれたって嬉しかったのは覚えてます。

 

その日から2人目をどうするか。

3度目は大丈夫かもしれない。

息子に兄弟を産んであげたい。

 

そんな思いはあったけど、諦めることにしました。

バセドウ病のこともあるし。

次いつ妊娠できるかもわからない、無事妊娠を継続できるかもわからない。

自分たちの年齢、息子の年齢も考えて、諦めようと。

 

今妊娠したらどうする?と聞かれたら産む気で頑張りますが…

 

 

目まぐるしかった3年半

そんな感じで、3人で楽しく生きていくことを決意し、これからのことを考えてもう一つ仕事をしようと面接に行きました。

最後の診察をしてもらった足で。

 

2人目を計画していたのでその時していた仕事は委託の仕事でした。

自分でこの日の仕事を受けますみたいな。

報酬は出来高制っていうんですかね?

その日の売り上げの何割かを受け取るというような感じです。

けど、日によって仕事量は結構な差があり、収入は安定していませんでした。

2年間働いて、平均して月にあと2~3万稼げるといいんだけどなと思ったのでその分を増やす為に。妊娠する予定ももうないので。

 

でもその日は「スタッフ募集してますか?」を聞く為にお店に入ったんですが、

募集は陰ながらしていたらしく、その場で面接することになりました。

で、即採用。3日後に初出勤することも決まりました。

 

その時から3年半くらいですかね。

現在無職で引きこもっています。

今のところ、休憩中という明るい引きこもりです。

この3年半、すごく目まぐるしかった…

 

ダブルワークになり、腰痛で真っすぐな姿勢で歩けなくなり委託の仕事を辞め、

週1~2入っていたバイトを週4にし、コロナの流行、水害、息子は中学生になり、

家を購入。仕事に入り過ぎて扶養範囲を超えてしまったので社会保険に切り替わり、週5勤務で面接までやっていました。

上から下から挟まれ、人間関係にほんと疲れました。

 

久々ログインし、

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

このお題を目にして、また書いてみようかなと思いました。

まだシステムがよくわかってませんが…

この内容だと、この10年ではなくこの3年なので、

お題は次に挑戦しようと思います。

 

 

読んでいただきありがとうございます。