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今のままじゃダメなことぐらい自分が一番わかってるんです!

昔はあんなにもアクティブな人だったのに… 病気持ちになり、みるみるインドアでネガティブになったお母さんのお話です。

2度目の流産、最後の診察。

最後の診察。

今日は午後は休診の日なのか…

駐車場に車が停めれない。

こんなに混んでるのは初めてだな。

 

だいぶ待つんだろうな。

先週の診察の時は流産直後で、

妊婦さん見るの辛かったから

人が少なくて有りがたかった。

 

駐車場が空くのを待ってる間、

赤ちゃん抱いて家族に付き添われて

退院の記念撮影してる人達がいた。

幸せそう。

 

わたしは、

今から最後の診察をしてもらった後、

どんな顔で診察室を出ようか悩み中。

 

前回も今回も…

診察中も、内診中も、

見えないねって言われてる最中も、

次大きくなってなかったら流産かなって

言われた時も、

流産だねって言われた時でさえも、

ヘラヘラ笑ってた。

 

今回心臓が確認できた時唯一、

「ほんとに?!」

って大きな声が出た。

それでも、妊娠してから1ヶ月近く、

毎週のように「見えないね~」「駄目かな~」

って言われ続けてきてたから、

前回のこともあるし、素直に喜べなかった。

 

心臓が見えてから、

次の診察までの2週間。

大きく喜ぶこともできず、

不安でまたらなかった2週間。

 

流産を宣告されて、

サヨナラするまでの4日間。

 

『たまごちゃん』を、

看護師さんに手渡して1週間。

今日もヘラヘラ笑って帰りたい。

 

幸せな人達の前で

泣くわけにはいかない。

もっと辛い妊婦さんを見てきた人達の前で

泣くわけにはいかない。

 

 

『バンド名 化学みたいな 箱の人 切ない』

今日、youtubeで動画を見てて、

あーこんなのも聞いてたなぁ、

こんなんも歌ってたなぁと、

懐かしい曲を検索しては聞く&歌う。

 

ふと、何年か前に見た音楽PVが頭に浮かぶ。

 

なんて人たちだったっけ…

なんか、化学的な名前だった気がする…

なんて曲名だったっけ…

曲名は思い出す自信が全くない。

多分そこまで覚えてないんだろうな。

けど、さっきはバンド名?は

頭に浮かんだはずだ。

この曲が終わったら次は検索して聞いてみようと

思ったんだから。

 

うーーん…

あ、い、う、え、お…

か、き、く、け、こ…

 

わ、を、ん

まで言ってみるけど出てこない…

 

「なんか…化学っぽいので、二酸化炭素の英語みたいな…

おらんやった?そんな人たち?」

 

旦那にも手伝ってもらう。

 

「CO₂的な?」

 

「いや、元素記号ではなかった気が…」

 

2人がかりで30分ぐらいかけて思い出してみるが

全く出てこない。

 

『バンド名 化学 みたいな 箱の人』

で検索してみるが出てこず。

 

が!出た!

『バンド名 化学 みたいな 箱の人 切ない』

これで!

 

『切ない』って感じ覚えててよかった~

 

www.youtube.com

 

正解はこれ。

このPV。

最後まで見たことがない気がする。

と思いながら見始めたけど、

今回も途中で見るのをやめてしまった。

 

切ない…

悲しい。

だから最後まで見てなかったのかと思い出す。

 

いつか最後まで見ることができる日が

くるのだろうか…

 

完全流産を目指して

流産

流産翌日

朝一のトイレでけっこう大きめの

ドロっとなヤツがボトっと便器の中に落ちる音がして、

「わあぁぁ!」と焦る。

便器の底にゆらーっと落ちていく

ドロっとなヤツをジーーっと見て、

(うん、たまごちゃんとはあきらかに違う…)

と確認。

 

朝から産婦人科へ。

もしかしたら、「処置」をするかもしれない、

と母に報告したら、朝からついてきてくれた。

一人出産はしているが、

誰かと産婦人科にくるのは始めてだ。

 

検診は内診だけだった。

診察室に入って、

「昨日、これかなと思うのキャッチしたので持ってきました。

お願いしてもいいですか?」

と、たまごちゃんを差し出す。

横にいた看護師さんがそっと受け取ってくれた。

なんか、名残惜しかったです。

詳しく書きたいけど、また今度にします。

 

内診する部屋に通され、

ガバーっといつものポーズ完了。

ほんと、子供の為じゃなきゃやりたくないポーズ

ベスト3に入ります。

 

妊娠してから一か月半くらいかな?

毎週このポーズ。

大丈夫かな?育ってるかな?今日は見えるかな?

それだけの為に毎週頑張っておまたも開いてこれましたが。

この日はさすがに切なかった。

 

「きれいに出てるよ!何もない!」

 

「あぁ、ほんとですかぁ…よかったです。」

 

処置をしないにこしたことはないし、

わたしも完全流産を目指してたので

一安心なんですけどね。

一週間後、もう一度見てもらって、

何もなければ診察は終了だと言われ、

空しい気持ちで帰宅。

 

腰痛がひどい。

便秘かと思うぐらいおなかが張るのに

出てくるのは下痢。

 

流産2日後

昨日の夜は出血もおさまってたのに、

朝一のトイレに行くとナプキンしてるのに

パンツに水分を含んだような血がドバっと。

ナプキンとパンツを取り換えて

リビングに座った瞬間ドッっと出血した感覚。

すぐ立ち上がった瞬間にまたドッ、ドドッ。

おまたが暖かい…

溢れるかもと思うくらい暖かい。

すぐトイレで確認。

ドロッとなヤツらはいなかったけど、

かなりの量の出血。

少し不安ではあったけど、様子を見ることに。

この日一日の出血量は、

普通の生理程度の出血量でした。

昼頃から動悸が。

持病のバセドウ病によるものだと思われる。

薬の量を減らして一週間、

下がってた数値が上がり過ぎてるかな?

 

腰痛は少しマシになる。

完全に便秘な感じ。

便は出るが、出終わる瞬間、

肛門に激痛。

 

流産3日後

出血の量はだいぶ少ない。

出血してる感覚もわからない程度。

腰痛は少しあるがだいぶいい。

が、肛門の違和感とガスが溜まってる感覚。

排便なし。

昨日今日と、睡眠はちゃんと取れてるはずなのに

昼間睡魔におそわれいつの間にか寝てる。

甲状腺によるものなのか、

流産によるものなのかはわからない。

 

 

流産3日後の心の状態

流産

今日、2回洗濯をし、

2回とも、柔軟剤を入れるところにワイドハイターを投入するぐらいの状態。

2回目はスタートボタンを押すのも忘れる。

 

このブログを立ち上げて3日目。

流産の記録を書き残そうと書き始めたのに、

なかなかその時のことを書けないでいる。

思い出したくない感じがする。

何か書きたい気持ちはあるんだけど。

 

ふいに涙が溢れたり、

テレビをつければ爆笑したり。

 

悲しいことは思い出さずに生きていった方が楽だと、

体は言ってるんだろうか。

 

 

 

あの時スマホを持ってたら、何か変わってたのだろうか…

自己紹介

結婚願望がないわたしが、

妊娠し、できたら婚をしたのは、

今から9年前のことです。

 

この時は9年後に、

二度目の流産を経験するとは

思ってもいませんでした。

 

お母さん願望もなく、

子供好きでもなかったので、

子供は何人欲しいという考えもありませんでした。

 

ただ、

これから経験したことのない体験が始まるというドキドキと、

こんな考えで育てられるのだろうかという少しの不安があるぐらいでした。

 

言葉は悪いですが、

つくってみようと挑んで数か月後に、

すんなり妊娠しました。

 

わたしは生理が28日周期で

毎月きちんときていました。

生理痛もなく、ナプキンをつけているのは

生理が始まって2~3日間だけ。

周りの友達は

 

「今月は生理が遅れてる」

「予定よりだいぶはやく生理がきた」

「多い日用を使ってる」

「夜用はかかせない」

「ナプキンでかぶれる」

「痛み止めの薬を飲んでいる」

 

どれも経験がありませんでした。

生理がはじまる時期だなと思ったら生理がきて、

いつの間にか終わってるというのがわたしの感覚でした。

この「血」はみんなと一緒の「血」なんだろうか?

とも思っていました。

 

友達には「いいね~楽で。」

と言われて、「いいでしょ~。」

と言っていました。

 

心のどこかで「自分は妊娠しないかもしれない」

と思っていました。

今だったらすぐに検索してたんでしょうけど、

その頃はパソコンも持っていなかったし、

自分の周りのごくわずかな人たちの話と比較することしかできません。

自分みたいな生理の人がいない。

普通の体ではないのかもしれないと。

 

子供が欲しいと思っていなかったので、

あまり深く考えていませんでした。

そんなわたしがすんなり妊娠です。

妊娠できる体だったんだ…と、

ほんとに信じられませんでした。

 

そして、身勝手な妊婦が誕生しました。

今思うと、息子が無事に産まれてきたことは

本当にすごいことなんだなと思います。

息子の生命力の強さに感謝するばかりです。

 

無事に産まれてきたといっても、

妊娠30週の時に救急車で運ばれ、

32週で帝王切開で出産しました。

わたしは「妊娠高血圧症」になっていました。

 

息子は仮死状態で産まれ産声は聞けませんでしたが、

すぐに蘇生し、わたしを母親にしてくれました。

 

出産した後、疑問に思いました。

救急車で運ばれるまで先生に何一つ注意されることはありませんでした。

食べ物の制限や、体重の制限、

タバコを吸ってるかどうかなども、

一切聞かれませんでした。

なので、何一つ、妊娠前と変わらない生活をしていました。

 

その頃から自分で色々と調べ、

愕然としたんですけどね。

無知とは恐ろしいものです。

 

 

 

結婚願望無し、お嫁さん願望無し、お母さん願望無しだった29歳のわたし。

自己紹介

わたしと旦那さんは『できたら婚』です。

 

わたしが28歳の時に出会いました。

それまでわたしは地元を離れて生活していて、

実家暮らしをしていた妹が家を出たいと言うので、

入れ替わりで帰ってくることにしました。

 

当時、母は何も言わなかったけど、

父とよくケンカをしていると妹から聞いていました。

父はカッとなると手が出る人で、

わたしは子供の頃、よく夫婦喧嘩の仲裁をしていました。

 

昔の麦茶ポットってガラス製が多かったんですよね。

そのポットを父が母目がけて投げつけるんです。

当たっても痛いですが、運悪く床に落ち、ポットは粉々に割れ、

それにビックリした妹は母に駆け寄って抱き着きました。

母の血なのか、妹の血なのかわからないけど、

2人の体のあちこちに血がついてるのを見た瞬間、

わたしは父に包丁を向けていました。

 

その瞬間、父の真っ赤だった顔が、

みるみる青ざめたのを覚えています。

今で言うところのDV夫ってやつですかね。

 

正気に戻った父は勢いよく家を飛び出していき、

その後、わたしたち姉妹が寝るまで帰ってきませんでしたが、

翌日の朝には普通に仕事の準備をして、

朝ご飯を食べて出かけて行きました。

 

夫婦喧嘩があるたびに、

父は大声で怒鳴りながら物を投げまくり、

母と妹は泣き叫ぶ。

わたしは「やめて!」と父にお願いすることしかできませんでした。

やめてと言ってもやめてはくれませんでしたけどね。

 

子供ながらに、離婚すればいいのにと思っていました。

何度か両親に離婚したらどっちについてくる?

と、聞かれたことがありました。

妹はその頃から父親嫌いで、

妹は母に着いていくと言うのはわかっていたので、

わたしはそんな父でも、一人になるのは可哀そうだと思い、

父に着いていくと言っていました。

今思うと、わたしの発言が離婚できなかった理由の一つなのでは?

とも思ってしまいますが…

 

そんな両親なので、

家を出たいと思いながらも、

なかなか踏み切れず何年か過ごしていました。

妹が高校生になり、

「大丈夫、わたしがお母さんを守るから」

と言ってくれて、わたしは家を出ることを決心しました。

 

わたしが家を出ている間、妹がいてくれたので安心でした。

けど、妹が家を出たら父と母は二人っきり。

両親を二人っきりにするというは、

わたしにはできませんでした。

 

その頃、わたしには付き合っている人がいましたが、

母が殺されるよりはマシだ!と、

迷わず実家に戻ることを選びました。

 

だいぶ話の着地地点がわからなくなってきました…

 

そんなこんなで、

わたしは両親の為に、

まぁ、自分の為なんですけど、

地元に帰ってくることになり、

今の旦那さんと出会いました。

 

旦那さんはバツイチです。

元奥さんとの間に2人、子供がいます。

旦那さんと付き合うことになったのはわたしが29歳の時。

周りからは『結婚するんやろ』と、

よく言われていました。

なんででしょうね?

特におじ様達によく言われていました。

これは今で言うところのマタニティハラスメントってやつですか?

女は子供産まんと意味がないとか、

色々言われました。

 

散々言われながらも、

わたしには結婚願望がありませんでした。

お嫁さん願望もありません。

お母さん願望もありません。

というか、子供があまり好きではありませんでした。

今も大好きかと聞かれると…

正直自分の息子以外、可愛いとは思いません。

 

けど!

今は友達の子供とか、知らない子供よりかは可愛いと思いますよ!

当時、身近に小さな子供がいなくて、

子供の可愛さとかがよくわからなかったんだろうなと思います。

 

自分には結婚願望がない、

相手はバツイチで前妻の間に子供もいる。

結婚する意味ってあるのかな?と…

 

小さな頃から両親の喧嘩を見てきて、

子供ながらに離婚すればいいのにと思い続けてきた人間には

結婚の良さがわかりませんでした。

わたしと妹は、

いつも心のどこかで両親のことを心配して過ごしてきました。

母が殺されないように、

父が犯罪者にならないように。

自分たちは両親を守る為に生まれてきたのかなと。

 

大人になって、家を出て、色んな人たちに出会いました。

接客業の仕事をしてよかったなと思います。

両親を反面教師にしている人や、

両親に自分は似ているからこの性格はなおらないという人、

父親しかいない人、母親しかいない人、両親の顔も知らない人。

 

総合的に考えて、

わたしの今の性格や考えは両親からのコピーなのか、

それとも全く違うものなのだろうか。

 

自分に父のような凶暴な一面があるのかもしれない。

母のようにじっと耐え続ける忍耐力はあるのだろうか。

今でも正解はわかりません。

 

けどある日ふっと、

「産んでみたいかも」

と思ったんです。

子供を可愛いとは思っていませんでした。

年齢も気にしていませんでした。

 

不謹慎だし、無責任な考えですよね。

29歳にもなって、産んでみたいかもって。

 

旦那さんに言ってみました。

「なんでかわからないんだけど、産んでみたい。うちら二人の子供ってどんなのが生まれるんやろう?」って。

 

旦那さんはちょっとビックリしていました。

今まで産んでみたいなんて言ったことがなかったので。

旦那さんから、結婚はどうしたいの?と聞かれたことはありました。

わたしは「わからない」と答えていました。

 

それから旦那さんと色々話し合い、

「子供ができたら結婚しよう」

ということになり、数か月後、無事に妊娠、

その後両親に報告し、結婚することになりました。

 

世間で言う「デキちゃった結婚」ですが、

わたしたちは『できたら結婚』というわけです。

 

 

昨日、2度目の流産を終えました。

自己紹介

初めまして。

chirimamaです。

 

昨日、一日がかりで2回目の流産を終えました。

一度目の流産は仕事中のトイレの中で。

今回は出てきてしまう『たまごちゃん』を受け止めるべく!

仕事を休み、無事にこの手で泣きながらキャッチしました。

 

一度目の時、

なんの準備も知識も、考えもなく、

職場のトイレでの急なお別れをしてしまった後、

あまり深く考えないように…

あまり思い出さないように…

 

そう思いながら過ごし、

今回2度目の流産宣告を受けて、

準備万端で自然流産に挑み、

昨日の今日でよくブログなんか書けるね・・・

と思われるでしょうが、

自分の気持ちの整理のため、

『たまごちゃん』との短い出会いとお別れの記憶を残すために、

書ける時に、書いていこうと思い、開設しました。

 

この先、情緒が不安定になるかもしれませんが、

基本的には色んなことに興味があり、何にでも手を出し、

自由に生きてる一児の母です。

 

数年前から甲状腺疾患のバセドウ持ち。

バセドウを発症してからというもの、

人生計画がみるみる崩壊していき、現在に至ります。

その過程も書いて行けたらなと思います。

 

どうぞよろしくお願いします。